どれほど本気で自立を求めていますか

昨日は数年ぶりの大雪予報。
ここ山梨でも雪が降って、私の住まいの周辺でも10㎝~20㎝くらいの積雪だった。
私はというと、そんな雪降る午前中、打ち合わせの予定があったために
朝一番で雪かきを終えて外出し、午後からはセッションの予定があったのだが
豪雪地帯とは違い、雪のタイミングの道路状況が整っていな山梨では
お客様の安心安全が一番の為、予約は延期にして
急遽、フリーの一日に。

 

 

ここ数カ月、仕事が立て続き、やっとホッとしたと胸をなでおろしたところで
今度は確定申告の準備…。
自営業とは次から次へと片づける仕事が多いもの。
自分で運営しているからこそ自由な選択肢も多いけど
自分で運営しているからこそ制限や束縛されることも多い。

私は未来に向けて何かを企画したり、アクションを起こそうとする時
「余白の時間」がないとダメなタイプである。
ここのところ、2022年をどう切り盛りしていくのか
ゆっくり考えたいな~、スケジュールやタイムテーブルを考えたいと思っていたので
(もう2月…もっと早くやれよ!と思うがそうはいかない(笑))
この雪がもたらしてくれた余白の時間は私にとってめぐみの時間だった。

 

 

今年、やりたい事。
今、心の中に広がっている気持ち。
ワクワクも、イライラも、モヤモヤもすべてを一旦書き出してみる。
お風呂にゆっくり浸かって身体を温めたり。
瞑想をしたり
愛猫のテラ&ソルと遊んでみたり。
しばらくの間、何にも捕らわれず心を開放して自由にするありがたい時間。

 

 

そんな中、
なんとなく以前から気になっていたある映画を鑑賞した。
「ちょっと重い内容なのかな…」映画のinformationからそんなふうに思って
「今の気分じゃないな」と、なんとなく避けていた映画。

私の場合、ドキュメンタリーや実話に基づいた内容のストーリーは大好きなのだが
それはそれで、その内容と向き合うだけど心の余裕がないと受け止められないタイプである。

 

長い間、取り組んできた仕事から解放感されたからか
今ならこの映画の内容が受け止められるような気がした。

未来を花束にして

ご存じの方もいるだろう。

「未来を花束にして」

私がもともとこの映画に興味を持ったのは
私の好きな女優、ヘレナボナムカーターが出演していたからだ。

 

 

この映画は19世紀初頭

イギリスを舞台に、女性たちが当時の政権に対して女性の選挙権を要求する運動を行った。
その活動の中で、普通の女性たちが自由な発言求め、当時の社会的階級を超え
女性たちが団結することで政権に対し、男性社会に対し、異議を唱え戦い続けた結果
世界的に大きなムーブメントとなってやがて社会が変わっていった
実話に基づいた物語である。

 

 

19世紀初頭。
18世紀半ばに起こった産業革命の影響により、工業化が進み富を得たイギリスは圧倒的な経済力と軍事力で世界の覇権を握っていた。
しかし、その劣悪な環境で男性たちに支配されながらも生産性を担っていたのは
普通の女性、貧困にあえぐ女性たちだった。

(私は歴史に詳しいわけではないので間違っていたらごめんなさい。)

 

 

この環境の中で彼女たちは『違う生き方』を求めたのだ。
発言の自由、人として認められる生き方。
男女差別のない世界。
女性が解放される世界。

 

そして彼女たちは

「言葉ではなく行動を!」をシュプレヒコールに
その行動はしだいに激化していく。

 

 

もし、興味がある方がいらしたら是非、見てほしい。

 

わたしたちはどれほど本気で自立を求めているか

 

この映画を見て私が感じたことを私なりに書いてみたい。

 

 

19世紀初頭に彼女たちの戦いがあったからこそ
今、私たち女性の権利はある程度認められるようになってきた。

日本では女性の参政権が認められたのは1945年
そして、男女雇用均等法が成立したのは1985年

 

女性の人権や権利が認められるようになってから
わずか100年余り。

あの頃の女性たちは自由を獲得するために多くの犠牲を払っていた。
異論を唱えれば好奇の眼差しで見られ、蔑まれ、迫害され、時には暴力を強いられ、
命をかけて女性の自立を求めていた。

 

 

こうして経済的にも物質的にも豊かになった今、

男女平等、言論の自由、
それらが当たり前のように与えられれるようになった今、
私たち女性はどれほど本気で「自立」を求めているだろうか。

 

100年前に彼女らが切り開いてくれた未来、
夢見た未来に追いついた今、
私たちはあの頃の彼女らの「命をも犠牲にしてまで切り開いてくれた未来」
に報いるような生き方ができているのだろうか。

 

彼女らの当時の気持ちに思いを馳せると
なんだかとても居心地の悪い感覚を私は覚えた。

 

自由や自立には「責任」が伴う

言論の自由といった点では近年目まぐるしく新しいツールが開発され
近代化されているSNSをはじめとした情報ツール。
それらの中でも毎日のように
「自分らしく生きる」「自立して生きる」「自由に生きる」といった
キーワードをたくさん見かける。

 

もちろん、私もそういったキーワードを使うこともある。

 

自分らしく生きる
自立して生きる
自由に生きる。
それは、どのような言葉でも構わない。

 

ただ、これらの言葉の裏側には
常に、必ず「責任」が伴うことを忘れてはいけない。

 

好き勝手に生きればいいわけではない。
嫌なことや苦手なことから解放されて好きな事だけをすればいいわけでもない。
努力をしなくていいわけでもない。
楽(らく)して生きることとはさらにかけ離れる。

 

自分らしく、生きるということは自分自身の主張をもって生きるということ。
自立して生きるということは文字通り、自分で立って生きることだ。
自由に生きるとは他者からの束縛から解放されて生きること。

 

 

自分自身が発する言葉
自分の行動
自分が生み出すものや作り上げるもの
それらのすべてに責任を持つことから
自由や自立、自分らしくが手に入れることができるのではないだろうか。

自分自身に「責任」をもって生きることだと私は思う。

 

 

全ての人がそうであるわけではない。
しかし、私たちはそのことを忘れ、
ただただ好き勝手に言葉を発し、
情報を発信し、主張を繰り返していることはないだろうか。

表面だけをただ、なぞるようなキラキラワード
になっていないだろうか。

世の中が豊かになり、発展し、近代化が進む中
リア充アピール 承認欲求を満たすための投稿、
パーソナルな側面の欲求不満を解消するための発信、
現実とはかけ離れた形で注目を浴びようとするための情報発信

 

そこには「責任」などなく「嘘」や「偽り」を発信している感覚も
おそらくないだろう。

 

主張だけはしたいが「責任」は担いたくない。

 

私たち人間は自由で豊かな現代にいきるからこそ
本当に大切なことを忘れてはいけない。
便利な世の中になったというのに
その中を生きる私たち人間の「心」や「精神」は
100年前のあの頃よりも進化していないように感じるのは
私だけだろうか…。

技術や機械の進歩だけにもたらされた豊かさなのであれば
それは真の豊かさとは違う気がする。
その技術、機械、ツールを利用し活用するのはあくまでも人間なのだから。

 

 

今、何もかもが便利になった世の中で
選択肢や情報が溢れすぎている世の中で
自分自身が何を思い、何を選択し、どう行動するのか。
一人一人のどのような価値観をもって行動するのかがとても重要なのだと私は思う。

 

今、自分自身の内側に小さな問いかけをしてみてほしい。
あなたにとって自由に生きる、自立して生きるとは何ですか?

 

 

 

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